PART1

はじめに・・・

 「メイナイのシンガポールで育児」という題名をつけたのですが、まずは「シンガポールへ移住」し「中華系夫との結婚式」という、一味違った体験をしたので、そのことから触れたいと思います。

 それまでの日本での仕事を切り上げ、シンガポールへ移住。1ヵ月後に結婚式、そして2週間後に妊娠発覚。結婚式の時、「赤ちゃんはまだまだ先!」と、断言した言葉はいったい何だったのだろう・・・。あの時すでに4週目に入ろうとしている赤ちゃんがいたなんて。
 そう・・やはり、私の育児はシンガポール移住という時点から始まっていたんです。


序章

 日本の真夏、暑い盛りから残暑へ向かっている時、メイナイは日本での仕事にピリオドをうち、「寿退社」というめでたい形で退社。その翌々日に、1年前に籍を入れた夫のいるシンガポールへスーツケース一つで飛び立ちました。

 日本でやり残している「もろもろの手続き」は、後回し。1ヵ月後に控え、ほぼ夫任せにしてある結婚式の準備のために、2ヵ月オープンの往復チケットを購入。しばらくはシンガポールと日本を往復しながら・・と、頭の中ではそれなりに計画を立てて移住を考えていました。

 シンガポールでは、まずPR(永住許可証)申請に必要な健康診断書を作成してもらうために病院へ。レントゲンをとるときに聞かれた最終月経日が、まさか出産予定日を割り出すための日になるなんて予測もしないことでした。

 次に、式の時に着るドレス選び。約1年前に籍を入れたとき、1日がかりで8着のドレスをとっかえひっかえして100枚以上写真を撮ったのですが、その時の写真館でドレスを再び貸し出してもらえるので、今回は3着を選びました。
 そう・・、こちらの人は、結婚式の前に、まるで女優のようなメイクアップをしてもらい、結婚式用のドレスが沢山用意されている写真館で新郎新婦の写真を撮り、アルバムを作成。そして、とても大きなサイズに引き伸ばし、それをベットルームへ飾るのが標準。らしい・・のです。
 1年前に撮影したものは、その時すでに「2冊の大きなアルバム」と「100枚のスナップ写真」そして120×80cmほどある大きな「結婚写真」として仕上がっていたのでした。


・・結婚式までの1ヵ月間・・ 

 9.11事件、まだまだ記憶に新しいことですよね。 私がシンガポールへ移住して数日後、そんな世界的な事件が起きたのです。当時、テレビでローカルのニュースしか見ることができなかった私でも、「何かとんでもないことが起きたようだ・・・。」と思っていました。 せめてインターネットを使える環境にしたい・・。でも、そのためにはまず電話線も申し込まなければなりません。詳しい情報収集が可能となったのは約2週間後でした。

 事件があったために、結婚式へ参加してくれることになっていた一部の親戚と友人2名が突然のキャンセル。もうすでに1ヵ月をきっていた渡航チケットでしたが、旅行会社はキャンセル料をとらないという処置をしていました。

 そんな状況だったにもかかわらず、友人1名、親戚4名、両親と妹は、おそれず飛行機に乗り、式に参加してくれました。いまさらながら、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 当日の披露宴参加者は1テーブル10名の円卓が15テーブル、約150人でした。ほとんどが夫側の人達。 新婦側はシンガポール在住の親戚2名を加え、ようやく1テーブル。夫が華人なので、大半の出席者が華人ですが、1テーブル、ベジタリアンテーブルがありました。

 式の約2週間ほど前、その披露宴会場である中華系海鮮レストランで、夫の親兄弟と一緒に試食会がありました。当日のメニューの中から4、5種類試したところ、どれも日本人の口に合う美味しい中華料理でした。ただ・・「ヤム芋デザート」は私が変更をお願いしました。お芋というお腹にズシンとくるものでなく、プリンやゼリーのような喉越しの良いさっぱりしたデザートをと希望したら、杏仁豆腐に変えてくれることになりました。


 週末にこなした準備は、レストランでの試食以外に、ドレス選び、夫側の各親戚へ招待状配り(一軒一軒訪問したので、これが一番大変)など・・でしたが、なかでも夫の実家で過ごした時間は疲れるものでした。


・・結婚式の数日前・・

 いよいよ結婚式の3日前になりました。まず、母親が到着。私が持ちきれなかった荷物+恋しい日本食の数々をスーツケースいっぱいに詰め込んで来てくれました。今もかわりませんが、シンガポールへ遊びに来るたびに、重量ギリギリの範囲でいろいろと持ってきてくれます。最近は私へのものだけでなく、孫への土産物がかなりの範囲を占めるようになってきました。そんな かわらない思いに、感謝の気持ちでいっぱいなのだけれど、なかなか真面目になって伝えられません。同時に里心がつき、一緒に日本へ帰りたくなる気持ちまで高まってしまいます。

 式の前日には、父親と妹が親戚や友人を連れ、ツアーで来てくれました。両親と妹を除いては、皆シンガポールは初めてだったので、式の参加だけでなくシンガポール観光も大いに楽しんでいってくれたようです。当時はまだ移動前のマーライオンがいる公園をかわきりに、ボタニックガーデン、リトルインデイア、ラッフルズホテルでハイティーもしてきたようです。皆、観光も満喫できたようでよかったです。


 とりわけ、シンガポールでの食事は大好評。ホテルの朝食バイキング。レストランでの食事、ホーカー(屋台の食べ物)など、どれをとっても、そうそうハズレがなく、舌もお腹も大満足だったようです。


 父親がシンガポールに来るたびに必ず食べて、しかも私が里帰りするときに必ずお土産としてリクエストするものがあります。それは、「オタオタ」という、長さ30cmくらいの葉に包まれた長細いものです。中を開くとオレンジ色の練りものが・・主な原料は、魚のすり身(たぶん、内臓入り)それにチリなどです。結構辛いのですが、父が言うには 酒の肴にぴったりだそうで、屋台で売っているものをプラスチック容器へ詰めたり、スーパーマーケットにある冷凍物を買ったりして、来るたびに、必ず日本へ持ち帰ります。果物でも肉でもないので違法ではないそうです。 初めは、何時間も密閉状態では腐ってしまうのではないか・・という不安もあったようですが、そんなことは今まで一度もないので、徐々に持ち帰る量が増えているようです。

 こうして、日本から結婚式に参加してくれるお客様は、父と妹にまかせっきりで、母と私は、式前の残り少ない時間を、右往左往しながら準備に費やしたのでした。



・・結婚式の朝・・

 結婚式前日の夜は、両親妹がいるホテルへ宿泊しました。その日は準備で一日中ずっと駆けずり回っていたために、ホテルへ到着したのは夜10時を過ぎてしまいました。家族でゆっくり・・なんて暇もなく、とりあえず早く寝なさいとせかされて、眠りについたのでした。

 当日の朝4時頃、もちろん夜明け前の起床です。 メイクの人は、時間通りに部屋へ来て、慣れた手つきで メイク&ドレスを着る手伝いをしてくれました。一般的に時間にルーズと言われるローカルの人達ですが、彼女は予定時刻に来ました。聞くところによると、私の後にもう1件仕事があるようで、あわただしく帰っていきました。

 そのメイクさんは写真館が手配してくれた人ですが、昨年写真を撮ってもらった時の人と違いました。メイクさんによって、顔の仕上がりが変わるものです。もちろん、化粧をしていない時の自分の顔とは違うけれど、私自身の好みとしては、前回のほうが好きでした。同じ人がいいと言えばよかったなあ、と少し後悔してしまいました。

 その後しばらくして空が明るくなりかけた頃に、夫とその兄弟友人達(すべて男性)がホテルの部屋の前にやって来ました。そして「花嫁をください。お金をあげます。ドアを開けてください(もちろん中国語)」と言って、ドアの細いすきまからアンパオ(赤い色をした中国風お年玉袋)を差し出してきました。

 すると、花嫁と一緒に部屋の中にいる女性達(夫の兄弟の妻やガールフレンド、私の妹、友達、従姉妹)は「もっと沢山お金を払わなければ 花嫁をあげない」と言ったり、その他にも無理な要求をしたりしました。これは、真剣なやり取りではなく、冗談やふざけも入って かなり和気藹々とした雰囲気でした。

 そんなやりとりが数分つづいた後、こちらの女性達は ようやく納得しドアを開き、新郎新婦のご対面、男性達も部屋の中へ入ることができました。

 それから ホテル前に用意された花で飾られた車(新郎新婦が当日移動の時に使う車)に乗り、夫の母親や親戚がいる実家へ向かいました。このころには、もうとっくに日が出て、今日も暑くなりそうな気配がしていました。



・・夫の家での結婚式・・

 当日の朝、ホテル内でのアンパオのやりとりに決着がつき、いくらだったの?・・ という疑惑が残りながらもホテルを出発し、新郎新婦一行を乗せた車は、新郎の母のいる実家へと向かいました。 

 結婚式というと、神前式、仏前式、教会での式が日本では一般的だと思いますが、私たちの場合、夫の家で、祖先を祭っている仏壇前での人前式という形で行われました。 それがこちらの華人では一般的だというのですが・・リハーサルなしの「ぶっつけ本番」で、隣にいる夫に言われるがまま状態のうちに式は進んでいったのでした。


 進行役は夫の母親。ちなみに、夫の父親はすでに他界していました。まずは、長い線香の束に火をつけて、それを上下にふり祖先に祈りささげました。それから、「赤いお茶の儀式」と言われる、日本で言うと三々九度の かためのさかずき のようなことをしました。  ここでは、中国茶が使用されます。お茶を飲むのは新郎新婦だけでなく、まずは双方の両親に飲んでもらうように私たちから手渡します。次に親から手渡されたお茶を私たちが飲みました。式は、そんな簡単なもので、10分〜15分くらいで終了しました。

 その後は 夫の母が腕によりをかけて、前日から用意してくれた料理で立食パーティーが始まりました。親戚や近所の人が出入りし、自宅前の庭にテーブルを出して ガーデンパーティーといった雰囲気です。ホテルから出てきた私たちは、朝から何も口にしていませんでした。少し緊張感もとれ、お腹が空いていたことを思い出し、私は純白のウェデングドレスを着ていたにもかかわらず、ナプキンがわりの大きなタオルを渡され、食べ始めました。


 正午を過ぎた頃、車に乗って移動。行き先は大きな公園です。この日は、晴れていて雨が降らなかったので、ほぼ予定通りに事が運びました。 よくこちらでは いきなりのスコールがあります。それがなく本当によかったものの炎天下での新郎新婦一行の写真撮影は、ちょっときつかったです。 ブーケトスも、この公園で行いました。 

 純白のウェディングドレスは、ますます汚れてきましたが、そのドレスともそろそろお別れです。夜から始まる披露宴の準備、お色直しのために写真館へ向かいました。



・・中華レストランでの披露宴・・

 広い公園で写真撮影の後、日本から来てくれた人達はホテルで休憩したり観光へ行ったり、夜の披露宴まで、ようやく空き時間ができました。 でも、新郎新婦は夜の披露宴のための化粧と髪型直し、ドレスの交換などのために写真館へ向かいました。

 なんと運がわるいことに、きちんと時間で予約していたにもかかわらず先客がいて、かなりの時間待たされてしまいました。最初は余裕だと思っていたにもかかわらず、だんだん披露宴の開始時間が迫ってきました。でも、日曜で人手も足りなく、どうしようもないという状態でした。

 まだ支度ができていないのかと、心配になった弟達が度々現れました。ようやく順番がまわってきてお色直し完了。披露宴会場へ到着したのは 招待状に記載した開始時刻の7時ちょっと前。招待客のほとんどは、もう会場内にいました。

 少々余談ですが、こちらの人達は、結婚式の招待状に記載してある開始時間の30分〜1時間後に来るのが常、というか、それが常識なようですが、日本人の親戚、日系勤めの夫の上司を招待しているということがあり、夫は当日まで親戚に電話をかけまくり、招待状に記載されている時間までには必ず来るように催促していたので、招待客のほぼ皆が時刻どおりに揃いました。

 ところが、夫の努力は空しく、致命的なところへの念押しがかけていたために、結局開始は1時間後になってしまいました。 そう・・それはレストラン側の大幅な遅れが原因でした。レストラン側でも、開始時間は一時間後だと思っているようで、時間ぴったりの時にはまだ料理が出来上がってなかったのです。というわけで、招待客が揃っていたにもかかわらず始めることができないという状態でした。

 レストラン会場の受付は、夫の弟の妻が入ってくれました。彼女は花嫁にも勝るとも劣らずくらいの化粧、髪型、服・・で、私のほうが、ちょっとビックリしてしまいました。聞くと、プロのメイクに髪結いの専門家、服も貸衣装だそうです。その彼女は受付で、四角い箱をかかえていたので、何かな?と思って見ていたら、やって来た招待客はその箱の中に赤袋を入れています。 そう・・袋はご祝儀袋。つまり、箱はご祝儀袋を入れるためものでした。でもまるで選挙の投票箱のような感じで、驚いてしまいました。


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メイナイの
シンガポールで育児
 
PART1
はじめに…
序章
結婚式までの1ヵ月
結婚式の数日前
 
結婚式の朝 
夫の家での結婚式
 
中華レストランでの披露宴

PART2
結婚披露宴 2
披露宴が終了して
妊娠発覚

日本へ帰ろう 
日本の秋は寒かった
滞在中楽しかったこと


PART3
8週目のできごと
8週目のできごと(続き)
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GPから紹介された産婦人科
シンガポールの大病院
初めての産婦人科検診

PART4
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産婦人科の隣 
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妊娠初期の食べ物
シンガポールのクリスマス
妊娠16週目、血液検査の結果

PART5
シンガポールの大晦日
シンガポールでの元旦
1月2日、羊水検査
羊水検査の結果

旧正月直前のシンガポール
19週目、胎動を感じるようになる

PART6
両親がシンガポールに3日滞在
旧正月前のチャイナタウンとクラークキーの夜
羊水検査から6週間後の検診
チャイニーズニューイヤー
元旦と2日目


PART7
夫婦でシンガポールPRを取得
25週目、メールで知り合った妊婦友達と会う
フリーマーケット巡り
日本人の母親学級
32週目(9ヶ月目)検診で
妊婦最後の35週目

PART8
5月14日アルバニア病院へ入院
出産のための入院中
5月15日午前4時28分出産
全身麻酔による帝王切開
出産直後の1日
子供の名前

PART9
5月16日、産後1日目
授乳の量、ミルクの量と間隔
入院中
手術後の体
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入院6日目に退院

PART10
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